白紙投票では政治は動きにくい――なぜ政権は経済界のほうを向きがちなのか

映画で聞いた言葉が、ずっと引っかかっている

以前観た政治風刺映画『パンケーキを毒見する』で、ある自民党議員の発言が紹介されていた。私の記憶では、趣旨はだいたいこうだった。

白紙投票は無効票だから意味がない。
当選した議員は、自分に投票してくれた有権者の希望をかなえようとする。
議員が本当に気にするのは、「この層を無視したら議席を失う」と思う相手だ。
何も書かずに帰った人が何を考えているかなんて、分かるはずがない。
だから白紙投票では政治は動かない。

かなり冷たい言い方だと思う。
でも同時に、「たぶん今の政治って、本当にそういう仕組みで動いているんだろうな」とも感じた。

腹が立つ。けれど、ただ腹を立てるだけでは足りない。
この言葉がなぜそんなに嫌なリアリティを持って聞こえるのか、少し落ち着いて考えてみたい。


白紙投票は「思い」はあっても「票」にはならない

まず確認しておくと、日本の選挙では白紙投票は無効票として扱われる。候補者や政党の得票にはならない。東京都狛江市選挙管理委員会も、無効票の例として白紙投票を明記している。 Source

つまり白紙投票には、「入れたい相手がいない」「今の選択肢には納得できない」という思いは込められていても、その思いはそのままでは政治家への圧力になりにくい。
投票所に行った事実は残る。でも、誰を勝たせたいのか、誰を落としたいのかは伝わらない。

ここがいちばんつらいところだと思う。
政治家が見ているのは、まずは議席が動くかどうかであって、気持ちの強さそのものではない。


政治家は「不満の大きさ」より「失う票の大きさ」を見る

映画で紹介されていたその議員が言いたかったことを、もう少しやわらかく言い直すなら、たぶんこういうことだ。

政治家が本気で耳を傾けるのは、「この層を無視したら議席を失う」と感じる相手の声だ。

これはたぶん、きれいごとではなく本音に近い。
政治家だって世論は気にするだろうし、支持率も見るだろう。けれど最終的にいちばん重いのは、次の選挙で勝てるかどうかだ。

だから、

  • 継続的に声を届けてくる人たち
  • 選挙で票を動かせる人たち
  • 無視したときに本当に困る相手

には敏感になる。

逆に言えば、白紙投票や棄権のように「不満はあるけれど、票の行き先は変わらない」という状態は、政治家にとってはそこまで怖くない。
厳しい言い方をすれば、怒ってはいるけれど、現状は壊さない人として扱われやすいのだと思う。


若い世代ほど、その「無視できない層」になりにくい

この話は、年代別の投票率を見るとさらに分かりやすい。総務省の公表では、最新の衆院選の年代別投票率は、10歳代43.45%、20歳代39.01%、30歳代50.89%、全体56.26%となっている。 Source

教育費、住宅費、奨学金、低賃金、不安定雇用、子育て負担。
こうした問題をまともにかぶりやすい世代ほど、投票率では弱い立場に置かれやすい。すると政治家の側から見ると、「大事ではあるけれど、無視したらすぐ議席を失うほどではない層」に映ってしまう。

もちろん、若い人が悪いという話ではない。
忙しいし、生活に余裕はないし、政治に期待しづらい空気もある。候補者の違いが見えにくいことだってある。
ただ、それでも選挙政治はかなり残酷で、事情より結果を見る。投票率が低いと、その層の困りごとは後回しにされやすい。


経済界は、選挙のときだけ政治に関わるわけではない

一方で、経済界は政治との関わりを一回で終わらせない。経団連は公式サイトで、主要政党に対する政策評価、「政治との連携強化」に関する見解、企業の自発的な政治寄付についての考え方などを公開している。 Source

また総務省は、政治資金規正制度について、政治団体の収支報告書の提出と公開などを通じて、政治資金の流れを国民の前に明らかにする仕組みだと説明している。 Source

つまり経済界は、ただ「意見を持っている」だけではない。
政策を読み、評価し、要望を出し、継続的に政治へアクセスする仕組みを持っている。

政権が経済界のほうを向いているように見えるのは、単に「企業びいきだから」で終わる話ではない。
経済界のほうが、政治に見えやすい場所に立ち続けている。
その差はやはり大きい。


企業には政策担当者がいる。でも労働者はそうはいかない

ここで大きいのは、政治への関わり方そのものに差があることだと思う。

企業は、自分たちに関係する税制や規制や法改正を追うために、政策や渉外を担当する人を置ける。そういう人は、それが仕事であり、会社から給料をもらいながら継続的に情報を集め、動向を追い、要望を整理できる。

でも、ふつうの労働者はそうではない。
毎日の仕事があって、生活があって、家事や育児や介護があって、そのうえで政策を追い続けるのは簡単ではない。厚生労働省が毎年行っている労働組合基礎調査も、労働組合や労働組合員の分布など、労働組合組織の実態を明らかにすることを目的としている。 Source

要するに、企業の政策担当者は「関わり続けること」自体を仕事にできる。
でも労働者の多くは、そうではない。
だから個人が一人で政治や政策に関わり続けるには、どうしても限界がある。

かつては、そこを労働組合がある程度担っていたはずだ。
けれど今は、労働者の声を継続的にまとめて政治に届ける回路が弱くなっている。すると、生活者の不満はあっても、それが政治の側に届く前に散ってしまいやすい。


だからこそ、横のつながりが大事になる

ここで必要になるのが、横のつながりなのだと思う。

一人で政治を追い続けるのはしんどい。
一人で政策を読み、一人で声を上げ、一人で監視を続けるのは、普通に暮らしている人にはかなり重い。

だからこそ、

  • 労働組合
  • 市民グループ
  • 当事者どうしのネットワーク
  • 地域のつながり
  • SNSだけで終わらない継続的な連携

のようなものが大事になる。

散らばったままの不満は、政治家から見れば「なんとなく不満があるらしい」で終わってしまう。
でも、横につながって要求の形になれば、無視しにくくなる。

企業が強いのは、お金があるからだけではない。
利害をまとめて、政治が理解できる言葉にして届ける力があるからだ。
生活者や労働者の側も、そこをどう作るかが問われているのだと思う。


自民党が変わらないのは、有権者が結果的に追認しているから?

映画でインタビューに答えていた自民党議員は、さらにこんな趣旨のことも言っていた。
自民党がスタンスを変えないのは、有権者が選挙で対立候補に投票せず、結果として自民党の政策を追認しているからだ。つまり有権者は「そのままでよい」と言っている。だから党内に反対意見があっても、政治スタンスは変わらない。

これも、聞いていて腹は立つ。
でも、選挙の仕組みの中では筋が通ってしまう。

どれだけ批判があっても、最終的に議席が大きく減らなければ、政党の側は「支持は維持された」と受け取る。
不満があっても票が離れなければ、それは政治の言葉では追認として読まれやすい。

白紙投票や棄権がきびしいのは、まさにここだ。
そこに怒りがあっても、現状を崩す票にならなければ、「不満はあるが、結局はそのままでよい」と解釈されやすい。

嫌な話だけれど、だからこそ無視できない話でもある。


じゃあ、どうすればいいのか

たぶん答えは、あまり派手ではない。
でも結局は、そこに戻るしかないのだと思う。

  • ましな候補を選ぶ
  • 現職を落としたいなら、対立候補に票を集める
  • 国政だけでなく地方選も見る
  • 不満を一人で抱え込まず、横につながる
  • 選挙のときだけでなく、ふだんから声を届ける

政治を変えるというのは、ただ怒ることではなく、
怒りを「届く形」に変えることなのだと思う。

白紙投票に気持ちがこもっていないわけではない。
でも、政治家が本当に気にするのは気持ちそのものではない。
その気持ちが票になって動くか、そして無視したら議席を失うかだ。


おわりに

「どうせ政治は企業の味方だ」と感じることはある。
私もそう思うことがある。
でも、そこで止まってしまうと、政治の側にとってはいちばん都合がいい。

経済界は、自分たちの利害を政治に届く形で送り続けている。
それに対して生活者や労働者の側が、白紙投票や棄権や、バラバラの不満だけで終わってしまえば、政治の優先順位はなかなか変わらない。

だから必要なのは、「気持ちを示すこと」だけではなく、
票を動かし、横につながり、継続して関わることなのだと思う。

遠回りに見えても、結局それがいちばん現実的な道なのだろう。


参考にした公的・公式情報