現状に不満?ー「それなら文句を言わずに対立候補へ入れろ」で終わるのか

この記事は「入れたい候補がいない」ー有権者に何ができるのか、制度から見る「棄権」と「対立候補への一票」の派生記事です。
「入れたい候補がいない」ー有権者に何ができるのか、制度から見る「棄権」と「対立候補への一票」をご覧になった方がより理解が深まります。


今の政治が嫌で、しかも小選挙区では一人しか当選しないのなら、現職を落としたい人は対立候補に票を入れるしかない。制度の動き方だけを見れば、これはその通りです。

でも、ここで話を終えてしまうと、大事なことが抜けます。
なぜ「入れたい候補がいない」という不満が毎回くり返されるのか。
なぜ「それなら自分で出ればいい」と簡単にはならないのか。
そこには、立候補する側にある制度上の壁があるからです。


候補者が少なく見えるのは、有権者のわがままだけではない

「候補者は何人もいるのだから、その中から選べばいい」という考え方には一理あります。
ただ、そもそも立候補するまでのハードルが高いなら、選択肢そのものが細りやすい。

総務省は、立候補には供託金が必要だと説明しています。これは、選挙の公正を保ち、売名やいたずら目的の立候補を防ぐための仕組みで、一定の得票に届かなければ没収されます。衆議院小選挙区や参議院選挙区では300万円、比例代表では600万円が必要です。

総務省:立候補を目指す方へ
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo18.html

用語メモ:供託金

供託金とは、立候補するときに先に預けるお金です。
一定の票が取れなければ戻ってきません。
つまり「出るだけで大きなお金を失うかもしれない」仕組みです。

しかも負担はお金だけではありません。総務省の説明でも、立候補には書類作成、政党の公認や推薦に関する手続、ポスター、ビラ、選挙カーなど、かなり多くの準備が必要だと示されています。

制度上は政党の公認や推薦は必須ではありませんが、政治基盤が無い全くの新人候補にはかなり不利になります。

つまり、立候補は「思いついた人が気軽に挑戦できる場」ではない。
時間も金も手間も、かなり重い。


そして、この重さは「現状を分析できる人」ほど受けやすい

ここは少し皮肉なところです。
社会の問題をよく見ていて、「今の制度ではこういう人が不利になる」「この政策では生活が苦しくなる」と分析できる人ほど、むしろ立候補しにくい面があります。

なぜか。
現状をよく見ている人ほど、選挙が理想論ではなく、

  • 供託金を失うかもしれない
  • 準備に大きな時間を取られる
  • 組織や知名度がなければ戦いにくい
  • たとえ正しいことを言っても、票になるとは限らない

という現実も、よく見えてしまうからです。

何も知らない人より、よく分かっている人のほうが「この条件で出るのは相当きつい」と判断しやすい。
その結果、現状分析ができる人、政策を丁寧に考えられる人、生活とのつながりを説明できる人ほど、立候補に踏み切れないことが起こりうる。

これは「優秀な人が怠けている」という話ではありません。
むしろ逆で、現実が見えているからこそ、個人で飛び込むコストの大きさも分かってしまうのです。


投票率が低いと、そのハードルはさらに高くなる

そして、この問題をもっと深刻にするのが投票率の低さです。

総務省によれば、直近の衆議院選挙では全体の投票率は56.26%でしたが、10歳代は43.45%、20歳代は39.01%でした。参議院選挙でも全体58.51%に対し、10歳代45.29%、20歳代47.30%です。

総務省:国政選挙の年代別投票率について
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

この数字が意味するのは、単に「若者が行っていない」という道徳話ではありません。
制度の面で見ると、新しい候補者が狙いたい層ほど、票として計算しにくいということです。

たとえば、現状に不満を持つ人、生活の苦しさを感じている人、政治に距離を感じている人が多くいても、その人たちの投票率が低ければ、候補者の側からすると「共感は得られても、票に結びつくかは分からない」層になります。
逆に、いつも投票に来る人たち、地域の組織票を持つ人たち、地盤のある陣営は、票として計算しやすい。

するとどうなるか。
新しく出ようとする人ほど、

  • 票を掘り起こすコストが高い
  • 勝てる見込みを立てにくい
  • 供託金没収のリスクを負いやすい

という三重苦になりやすい。

つまり、投票率が低い社会では、「新しく出る人」が制度的にも資金的にも不利になりやすいのです。


「入れたい候補がいない」の背後には、需要だけでなく供給の問題がある

よく「有権者がわがままだから、候補者に満足しないのだ」と言われます。
でも実際には、これは候補者の供給の問題でもあります。

用語メモ:供給

ここでいう供給とは、「有権者の前にどんな候補者が出てくるか」ということです。
スーパーに並ぶ商品が少なければ選びにくいのと同じで、選挙でも候補者が似た顔ぶれになれば「選びたい人がいない」と感じやすくなります。

しかも供託金や準備負担が重く、さらに低投票率で新規参入が勝ちにくいなら、出てきやすいのはどうしても

  • 既存政党の公認を得やすい人
  • 組織を持っている人
  • 地盤や知名度がある人
  • すでに政治の世界に足場がある人

になりやすい。

その結果、有権者は毎回「またこの中から選ぶのか」と感じやすくなる。
つまり「選択肢がない」という不満は、単なる甘えではなく、制度が似たタイプの候補を生みやすいことへの反応でもあるのです。


だから、「対立候補へ入れろ」は正しいが、それだけでは足りない

ここで最初の問いに戻ります。
では、「それなら文句を言わずに対立候補へ入れろ」で終わるのか。

私は、目の前の選挙の話としては正しいと思います。
現職に不満があるなら、制度の上では対立候補に入れるしかない。
棄権や白紙では結果を変えにくい。

でも同時に、なぜ毎回そんな消極的な選び方しか残らないのかまで見ないと、話が浅くなる。
そこには、

  • 立候補にお金がかかる
  • 一定の票が取れないと供託金が没収される
  • 書類や運動の準備負担が重い
  • 投票率が低く、新しい候補が勝算を立てにくい

という仕組みがある。

だから有権者に必要なのは、
短期的には「今いる候補の中で、いちばんましな相手に入れること」であり、
長期的には
「もっと出やすく、もっと育ちやすい政治の土台をつくること」です。

この二つは、どちらかではなく両方必要なのだと思います。